桜が満開でした。公園に咲く満開の桜があまりにも綺麗で、暖かい春の陽気の中、桜の咲く場所を自転車で巡った。

今年の桜はどうしてこんなに綺麗なのだろう。あまりにも美し過ぎて逆に怖くなる程だった。そういえば、退団してから初めての桜の季節だ。今まで毎年桜を見てきたけれどもこんなふうに感じたことはない。

過食衝動という非常に硬いバネを、来る日も来る日も、朝起きてから夜眠って意識がなくなるまで、ひたすら押さえつけていた。規則正しく食事をとっていようが、空腹だろうが満腹だろうが、消えてはくれなかった。受験スクールに入った時から、この劇団において痩せていることの重要性をさんざん説かれていたし、自分自身宝塚を小さい頃から観て憧れてきて、十分よくわかっていた。だからこそ、抑えれば抑えるほど膨れ上がっていく衝動を必死に押さえつけて生きていくことが自分の使命だと思っていた。しかしどんなに押さえつけても、いつか必ず限界はやってきた。体がそわそわして、いても立ってもいられなくなる。自分の目が血走っているのがわかる。必死に食い止めていた制御のタガが、ある時外れる。今考えると信じられない量を食べる。食べるというより、飲み込む。苦しくてもう一口も何も口にできない状態になるまで終わることができない。苦しくて眠れない。次の日は浮腫んでぱんぱんの身体を引き摺り、頭はぼうっとし、目はうつろでただ罪悪感と自己嫌悪に苛まれる。

タガが外れたまま数日間やめられないときもあれば、数日間絶食するときもあった。ある時は、3~4日間食べ続けて7~8キロ体重が増え、3~4日間絶食して元の体重に無理矢理戻す、というサイクルが1ヶ月ほど続いたこともあった。

過食が最も酷い時に限っていつも、「もう(過食を)しないって、私と約束しよう」と言って下さる方が現れた。ご厚意であることはよくわかる。しかしそう言って頂くたびに、ああ自分はこの人をもまた裏切るんだ、と悲しくなる。それで過食がやめられるなら、とっくに解決している。そんな約束を取り付けないでほしい。私は貴方を裏切りたくないのです。と、そんなことが言える筈もなく、私はその「約束」をする。そしてまた過食する。人間関係が破綻していく。じりじりと居場所がなくなっていく。全ては私が過食衝動を抑えられない精神の弱さだ、全て自業自得であるとひたすら自分を責めてきた。ありとあらゆる手を尽くして過食衝動をなくそうとしてきたが、退団するまでとうとうなくなることはなかった。

退団してから半年。退団した途端にピタリと止んだ訳ではなかったが、過食衝動はいつの間にか消えた。満開の桜が心の底から美しいと思う。きっと今まではただ眼に映っているだけで、花を愛でる余裕などなかったのだろう。

なったことのない人には、あの衝動を抑えるのがいかに困難なことかはなかなか理解できないと思うけれども、私にはわかる。摂食障害は現代の日本人なら誰にでも起こりうる。私もいつまたなるかわからない。摂食障害に限らず多くの人が心の病を患っているかその手前の予備軍である現代日本で、ほんの少しでも生きる希望を見出す一助となる一筋の光になりたい。