大学生活はだんだん慣れてきた。音楽と教育を中心にクラスメイト達と毎日過ごす毎日はとても幸せだ。若い人たちと一緒にいると、自分もパワーをもらえる。自分が歳上なことを忘れることさえある。しかし、18歳だ19歳だと話しているのを見聞きしたりすると時々どうしても、言いようのないやり切れなさを感じる時がある。19歳。なんて透明感のある言葉だろう。成人する前の最後のきらめき。大げさかもしれないが私には、白く薄いシルクのような、儚くきらめく尊いものに思えるのだ。二度と自分には戻ってこない。そう思ってしまうとき、過ぎ去った時間を思い出しては涙が出そうになる。19歳のとき私は本科生だっただろう。音楽学校には限られた年齢の限られた人しか入ることができないのだから、19歳をそこで過ごしたことはとても幸せで貴重な素晴らしい経験だったのだと思う。
でももっと、本科生を、19歳を、楽しんだらよかったのに、と思うのだ。どんなに辛くても耐え忍んで研鑽を積むのが正しい努力だなどと堅苦しく考えるのではなくて、楽しんで努力できる、努力を苦行とも思わず進んでできる方法が色々あったはずなのだ。
記憶の中の19歳の自分も、「40人に選ばれた宝塚音楽学校生として切磋琢磨していました」という表面上の輝きではなくて、本当に心から生き生きときらきらと輝いていて欲しかった。
そう考えたとき、今だって、何年か後には「あの頃は若かった」と思い出すじゃないかということに気がついた。そうだ、未来の自分から見ればいつでも自分は若いのだ。退団する直前に、尊敬するOGの上級生の方に言って頂いた「今がいちばん若いんだから」という言葉がやっとよく理解できた。何年後か、何十年後かに今を振り返ってみたときに、記憶の中の自分が幸せだったと輝いて見えるように今を生きるのだ。がむしゃらにストイックに努力していました、とかそんなことではない。他人との関わりの中で、様々な困難が立ちはだかっても自分がいかに他人を幸せにできたか、それによって自分もいかに幸せであったか。それが大事なことであって、その為の努力やら辛抱やらというのはそのための手段でしかない。そこを取り違えてはいけない。
そんなことを思う26歳の誕生日。