先日、父方の祖母が亡くなり葬式に行った。父は祖母と長い間疎遠だったので、私が宝塚に入ったことをきっかけにたまに会うようになるまで一度も会った記憶がない(とても小さい頃には何度か会っているらしい)。数えるほどしか会ったことのない祖母であるが、思い返せば会う度に何かしら強い印象を残す人であった。物心ついてから初めて会ったのは確か研一か研二の時の東京公演中で、帝国ホテルの和食のお店だった。会ってすぐにほぼ初対面で緊張しながら、私が自分の芸名「桜良花嵐」の千社札を渡すと、ひと目見て「越路吹雪みたいな名前ね」と仰ったのだった。字面から桜吹雪をイメージされたのだろうか、そんなことそれまで考えたこともなかった。私は歌が好きなので尚更、シャンソンの女王として宝塚の枠を超え日本中から愛された国民的大スター越路吹雪さんのような芸名だと何気なく言って頂いたことが恐れ多くも大変に嬉しかった。訃報を聞いた瞬間そのことが頭をよぎり、歌を頑張らんといかん、と思った。

その後何度か東京公演を観劇して下さった。そして数年前、老人ホームに入居された。何度か面会に行ったけれど、誰が話しかけても何も言葉を発しなかった。ただ、会った瞬間と帰り際に、物凄い目力で、目だけで何かを語りかけてくるのだった。何も語らずとも、あの目はしっかりと生きている証であった。私はそこに言葉以上の強い意志を感じた。あの目は一生忘れないだろう。

去年のクリスマスに、その老人ホームに慰問に行きクリスマスソングを歌った。その後、コロナ禍で面会が難しくなった。その慰問が生前に会った最後の機会だった。

                            

コロナの影響で、ごく少人数の親族だけでの葬儀だった。

朝の火葬場で、スーツを着た慇懃な職員の方々の案内に従い最後のお別れをし、棺を見送る。待合室で1時間ほど、お骨になるのを待ち、骨上げに向かった。銀色の台の上にお骨が積まれていた。焦げたような独特の臭いがした。順番にお骨をお箸で拾い上げ骨壷に入れていった。お骨とお骨が擦れる度にかさかさ乾いた音がした。

                         

                             

在団中、ある同期に「私のママが、たまちゃんが自殺でもしやしないかって心配してるよ」と言われ驚いたことがある。ご心配をおかけして申し訳ない。しかし私は自殺願望を持ったことがない。在団中私は退団を決める時まで、芸名の自分すなわち宝ジェンヌの桜良花嵐をいかにして生きながらえさせるかということしか考えていなかった。宝塚を卒業するとは人生の新しいステージへ進むということなのだが同時に、宝塚という世界における芸名の自分が死ぬということだと私は思っていた。芸名をその後も使うかどうかは関係なく、宝ジェンヌとしての自分は宝塚に存在しなくなるのだ。だから退団する公演の千秋楽数週間前から、化粧前や楽屋着やスリッパや何もかもが真っ白になる(忙しい合間を縫って主に同期がしてくれる)し、退団後使いそうにないアクセサリーや稽古着などを在団中に下級生に譲り渡すことを「形見分け」と言う慣習があるのだろう。私はいちいちそれらから死を連想してしまい、絶対に宝ジェンヌの桜良花嵐を死なせたくないと頑なに思うのだった。

しかしさすがに宝塚にい続けることに精神的な限界の限界が来た。もうこれ以上は無理だと思った。集合日の数日前に劇団の事務所に行き、「あんなにしがみついてたのに…?」みたいな反応をされながら、凱旋門の公演で辞めますと言った。

退団することが決まると、宝ジェンヌの桜良花嵐を生かすことを必死で考える必要がなくなってしまった。そうしたらしばらくして、自分はいつか本当に死ぬということに気がついて恐怖に苛まれた。特に東京公演中の寮の1人部屋で夜寝る時によくそれが頭に浮かんできて、自分はどうあがいてもいつか老いて死んでしまうのか、死んだらどうなるのだろうと怖くて仕方なかった。

凱旋門の新人公演の、カフェの場面で、カフェの客として下級生の子と2人で丸テーブルで話をする場面があった。東京の新人公演の本番か舞台稽古のその場面で、相手の子が「最近どんなこと考えてます?」と話題を振ってくれたのだが、私は「死ぬことばっかり考えてる」と答えてしまい、なんとも返事に困る回答をしてしまい申し訳なかった。幸い、お芝居中のそういう会話はその場面が終わって暗転したら強制終了されるのでちょうど良かった。

                      

                       

                      

いちばん最後に私と弟がお箸でお骨を拾い上げて骨壷に入れると、残ったお骨をを職員の方が専用のちりとりと箒みたいなものでまとめて骨壷に納めていった。その間中響き渡る骨と骨が擦れる乾いたカサカサという音を聞きながら私は、なんてあっけないのだろうと思った。どんなにお金持ちになろうが偉くなろうが名声を得ようが、最後はみんな骨だけになるのか。機械化が進み生活が便利になるにつれ人は自分が自然の一部であることを忘れる、といった話をどこかで読んだけれど、どうしたって結局自然の一部なのだと思った。老いることもいずれ死ぬことも、春夏秋冬と季節が移り変わるのとなんら変わらない自然の摂理に過ぎないのだな。そう思うとほんの少しだけ死ぬのが怖くなくなる気がした。むしろ生きていることの方が、怖いくらいの奇跡だ。何かと色々なことに執着しがちな自分だが、今たまたま奇跡的に生きているだけなのに、そんなに何かに固執する必要があるのだろうか。

そんなことをとりとめもなく考えた1日だった。