日本音楽表現学会という、音楽関係の方々が集まる学会に参加してみた。学生は殆どおらず、ほぼ全員どこかの教授兼演奏家であろう、私より年上の方々ばかりでいかにも学会、といった雰囲気である。そこで講演会の後の質疑応答の時に、「音楽を聴く側はもちろん感動するが、演奏する側は演奏している最中感動しているか否か」というちょっとした議論になった。音楽を長年続け極めていらっしゃるおじさま達が我も我もと手を挙げ自分の意見を述べていかれる。私のような物見遊山の下っ端が発言する勇気はなかったので聞いていただけなのだがとても興味深かった。最初は、「おそらく声楽家は演奏中感動しているが楽器を演奏する人は演奏中感動しないのではないか」というところから議論は始まった。そして最終的に、「声楽家も、本当のプロは演奏中感動などしていない。最初から最後まで緻密な計算を遂行することによって良い演奏になる。総じて演奏する側は感動せず、感動するのはお客様の役割である」というような流れになって時間切れとなりその話は終わった。
もちろん演奏者も感動するというご意見の先生もいらっしゃったし、演奏者は感動しないと完全に結論づけられたわけではなかった。しかし、私がここ数年考えていることと真逆の意見に収束して終わったので意外だった。長年音楽に関わり極め続けてきた方々でもこうも意見が異なるとは、音楽は奥が深い。現時点での私は演奏者も感動すると考えている側である。というより、何かを伝えたいなら自分も感動しなければならないと思っている。少なくとも歌に関しては。演奏する自分の心が動いているからこそ聴く側に伝わるのだと思う。技術は感情を表現する為のツールであり、感情があるからこそ技術が生きると考えている。しかし思い出してみれば音楽学校で声楽を教えて下さったある先生は確か「歌う側が泣き、観客は泣かないのは三流。歌う側が泣き、観客も泣くのが二流。歌う側は冷静で、観客だけが泣くのが一流。」と仰っていた気がする。確かに演奏技術だけで人を感動させることができるというのは凄いことだと思う。でも今の私は自分も感動していたい。表現する技術は幾らでも身につけたいけれども、せっかく歌うなら、感動をお客様と共有する空間を作りたい。