絶妙なタイミングで、凝り固まっていた考え方をガラリと変えてくれる言葉に出会うことがある。

そういえば小さい頃、宝塚の男役になりたかった。1番最初にファンになったのは真矢みきさん。小学校低学年の頃は一時期毎日家でザッツレビューかSPEAKEAZYのビデオを見ていた。その後もファンになるのは男役の方ばかりで、私にとって基本的に宝塚は男役さんを見るものだった。男役になることをずっと夢見ていた。しかし小学6年くらいの頃に身長の伸びが162〜3cmくらいでほぼ止まった。宝塚に合格したわけでもないのに、人生は一度きりなのに自分は男役にはなれないのだと絶望し独りで毎晩泣いていた。男役は十何年もやり続けないと板につかないけれども娘役なら数年である程度の目処がついて次の人生に若いうちに進むことができるから娘役のほうがいいじゃない、と慰められたこともあった。しかし当時の私は、宝塚の男役として人生終われたら本望であり、その後の人生などどうでもよく、何年でも宝塚に捧げるつもりでいたのでなんの慰めにもならなかった。今考えると、そんなにやりたかったなら背が低くても無理して男役になっておけばよかったのにと思うけれどもその時はそういう選択肢は私の中にはなかった。でもどうにか気持ちの整理をつけ、受験スクールに通う頃には娘役で受験する気でいた。受験は2回落ちた。かなりの挫折を味わった。

しかし宝塚に合格した時から、それまでのそんな失望や挫折は全てリセットされた。憧れの宝塚にやっと合格したのである。夢は叶う。努力は報われる。そんな法則が全てにおいて正しいと信じた。自分は強く願い努力すれば人生を思い通りにできると信じた。今考えれば、かなり若いうちにひとつの栄光を手にしたことで完全に調子に乗ってしまっていた。

もちろん現実はそんな単純なものではなかった。度重なる過食衝動で自分のコントロールもままならない。人間関係も、芸事もなにもかも、自分の思い通りにいくことなど殆どない。でも私は合格した時以来の考え方を引きずったままだった。うまくいくはずなのになぜいかないのか。なぜ報われないのか、なぜこんなに生きにくいのか。とそんな思いに日々とらわれていた。本や歌や映画などで、願いは叶うとか努力は報われるとか、そんな前向きな言葉だけを拾い集めて自分を鼓舞してきたけれど、どうにもならない矛盾にだんだん何を信じればいいのかわからなくなっていった。

そんな中、退団公演の東京公演中に、応援して下さる方々からお手紙を頂いた。お客様から温かい応援のお手紙を頂くことほど嬉しいものはない。そのお陰で6年間劇団にい続けることが出来たと言っても決して過言ではない。そのひとつの中に、「人生は、思い通りにならないものですね。」という一文があった。それを読んだ時、正に目から鱗が落ちた。そうか。人生なんて、思い通りにならなくて当たり前なのか。今まで、思い通りになるのが前提で生きてきたから苦しかったのかと、物凄く心が軽くなった。

宝塚の作品を見てみれば、お芝居では、計画通り上手く運ぶわけはない人生を人々が紆余曲折しながら生きていく様が描かれ、そしてその後のショーでは、いわゆる前向きな言葉に溢れた歌詞が踊る。そのどちらも真理なのだ。そうであるからこそお芝居とショーをセットで楽しむ宝塚の形式は素晴らしい。ということに今気付いた。