18期秋公演「All for One」からダンス指導を、20期秋公演「ポーの一族」からダンスと歌の指導をさせていただいている。

「All for One」で中一だった子たちが、とうとう最高学年になった。

ダンス指導は、以前のブログ「カヅラカタ歌劇団第18期公演感想」に書いた通り、体幹トレーニングを中心に、公演毎にレッスン内容を少しずつ改変しながら行ってきた。このレッスンで本当にレベルアップに繋がっているのだろうかと常に疑いながら試行錯誤を続けてきた。今回の演目はかなり激しいダンスナンバーが連続するショーで、演目が決まったときは正直ちょっと心配だったが、だからといって基本をこれ以上おろそかにすることもできず(エリザベートのお稽古はいきなり場面作りから入ったので、ダンスの基礎練があまりできなかった)、年末からこつこつと、今回のショーによく出る振りをいくつか加えた基礎レッスンを行った。

歌に関して書くと、今回は歌の指導に入って二回目のショーだった。昨年の春公演のお稽古で私はソロの子たちの歌ばかり見てコーラスをほぼ完全に生徒任せにしてしまった。ショーのコーラスがいかに大事かということに本番直前のゲネプロ辺りで気付き、もう少し手を入れておくんだったと反省したので、今回はまあまあ介入した。

私がしたことと言えばそのくらいで、あとは基本的に団員達が高二を中心に生徒主導で作品を完成させていく。舞台の出来は彼らの頑張り・創意工夫の賜物であり、私はほんの微力に過ぎないが、本番前日のゲネプロそして本番の演技を見て、私が18期から行ってきたダンス指導は、少なくとも大幅に間違ってはいなかったのではないだろうかと思うことができた。そう思わせてくれる舞台だった。部員が13人しかいないのに、その少なさを全く感じさせないパワフルなショーだった。カヅラカタに携わることができて本当に良かったと改めて思い、宝塚に入れたこと、そして巡り巡っていまこのようなありがたい境遇にあることに心底感謝の念が湧いてきた。秋公演も彼らと共に全力を尽くしたい。

ここまで書いてきて、今度は冷静になってみると、22期は私のダンス指導の言わば答え合わせの年であり、勘のいい彼らが中一から約4年間私の指導を受けてもいまだに苦手なことというのは、つまり私の指導の問題点なのである。ダンスの多い今回の作品を通して浮き彫りになった反省点を今後に活かさなくてはと思う。

また、今回の作品で改めて感じたのは、体幹の筋力の重要性である。もともとそれはわかっていて、体幹トレーニングを基礎練で最も重視してきたけれども、いかんせんやることが地味なので団員のモチベーションはなかなか上がらないし、筋力の弱い子に限って最初から放棄してしまったりする。もともと筋力が女の人よりあるはずだから、男の子の場合はそれほど重視しなくてもいいのではないだろうか?などと考えることもあった。

しかし、違う。体幹の強さは舞台上での格好良さに直結する。今回の舞台を観て確信した。

これまで数えきれないくらい色々な先生の色々なダンスレッスンを受けてきたが、思い返せば劇団内外関係なくだいたいどのレッスンも時間の半分近くが様々な形の体幹トレーニングだった。そして宝ジェンヌは、その上に加圧やピラティスなどなど通ったりしてそれ以上に鍛えている人ばかりだった。踊っているときだけでなく、歩いているだけ、立っているだけでも、しっかりした体幹で自分の身体を支えられているかどうかでぜんぜん見え方が違う。そして、体幹を鍛えるにはセンスも何もいらない。運動神経もいらない。地味な筋トレをするだけ。やったもん勝ちだ。といった話を事あるごとに団員達にしているつもりではあるが、また話していく。

カッコ良さの話といえば。
「人は急には変われない」とよく聞くが、私がカヅラカタで見てきた限り、彼らは「ある日突然」格好良くなる。おそらく自覚はないのだと思う。頻繁にお稽古に通っているとはいえ毎日会っているわけではないからある日突然というのは言い過ぎなのかもしれないが、少なくとも段々グラデーションのように変わっていくという感じではない。公演に向け自分の理想を求めて努力や工夫を重ねても、それに比例して目に見えた変化があるわけではなく、例えば何回目かの通し稽古なんかで、蕾がある日花を咲かせるように、激変する。そういった変化をよく見てきた。それらを思い返すたび、いつか自分も、変われるかもしれないのだから、伸び悩んだりなんのために続けているのかわからなくなっても、自己研鑽を止めてはならないと、自分に言い聞かせている。