どうしてこんなに大変なイベントに参加してしまったのだろう。ランニングスクールの強化合宿三日間の全メニューが書かれたホワイトボードを見ながら思う1日目。でも出ると決めたからには、なんとか全うして何かを掴んで帰りたい。

コロナ禍以降なんとなく、生活が、精神が、だらけている。何かを変えたい。そんな思いを漠然と抱えていたところに現れたこの機会。運動部に全く所属したことがないし基本的に楽をしたがる性分なのに、参加することに決めた。私にしては奇跡だ。

だいたいどんなトレーニング内容だったかをざっと書いてみる。
1日目は夕方4時から12km走った。数キロ毎に細かくペースが決まっており、数人のグループで走るので置いていかれないように必死。そして2日目は朝も夜も盛り沢山。朝7時から16km、設定ペースを徐々に上げながら走り、その後筋トレ、そしてお昼の炎天下を30分ジョギングして一旦解散。早朝からの16kmで十分ヘロヘロである。16時に再集合、朝より速いペースで12km走る。もう走り始めた時点で身体中が痛い。泣きそうになりながらなんとか走り終えた。
そして翌日3日目の朝、二日間の疲れを引きずりながら前日の朝より速い設定ペースで16kmを走った。しかも最後の4kmでペースを上げて走らねばならない。これが最後のもっともキツいメニューだった。でもせっかく参加したのだから、この最後のトドメを頑張らなくては後悔する。なんとしても最後まで設定ペースで走り終えるぞ。と思って走った。しかしラストのあとわずか2㎞の最もキツいところでペースダウンしてしまい、一緒に走っていたメンバーから離れてなんとか16㎞走り終えた。という形になった。最後の最後で心が折れてしまって情けない。

と、こんな流れで合宿は終わった。いかに少しでも今日の疲れを回復させるかが翌日の死活問題になる、それくらいキツい三日間だった。そんな状況にあえて自分を置くことによって、体調に気を使うことは自分の生活の質を上げることに直結するという当たり前のことに改めて気がついた。
長年絶対にやめられないと思いこんでいた、寝る前に携帯を触るのをやめた。携帯を枕元に置くのをやめた。枕元にあるとどうしても触ってしまい、すると目が覚めてきて深夜まで寝られなくなる。これがもう何年も自分の生活の基本になっていた。しかしやめてみると案外苦にならないものだ。寝る前にだらだらいじるスマホから得られる情報などもう十分高が知れている。合宿中に限らず普段においてももっと翌日のコンディションに気を配れば、今までより活動しやすくなり出来ることが増えるはずだ。

また、確か2日目に私が死にそうになりながら走っているとき、「自分のリズムを崩さないように淡々と一定のリズムで(足の運びを)刻んでください」とコーチに声をかけて頂いた。
最終日の最もきつい16キロを走っているとき、何度もこの言葉を思い出して自分に言い聞かせた。一定のリズムを崩さず、淡々と前に進むんだと。そして、なんでもそうだな、と思った。何かを成し遂げたり、成長するためには、ペースを乱さず淡々と前に進み続ける、それ以外に方法はないのだ。

走ることは、人生の縮図のようだ。
土の上を黙々と走る。とても地味。おそらく誰にとっても、生きることは地味なことだ。一見どんなに華やかに見えたとしても、それは見せかけか売り物であって、誰もの人生が地味な作業の積み重ねでできている。
そして、あと少しでゴールという時に心が折れてペースダウンするのは、ここぞという時に心の糸が切れて色々なことをダメにしてきた今までの自分にそっくりだ。「メンタルが強いとか弱いとかで考えると、持って生まれた才能のように感じてしまうので、上手いか下手かで考えましょう。メンタルの扱いが上手になればいいんです」ううなるほど。さすが我らがコーチ。自分のメンタルの扱い方、マスターします!
最強の夏の思い出をありがとうございました。